梅の花2008年02月26日

一輪と蕾二三が梅の花

 一輪と蕾二三が梅の花

満開の梅の花は、遠目にはきれいなのですが、近くで見ると、大味で趣がありません。ほどほどに咲いていて、まだ、蕾がたくさん残っている方が、梅らしさを感じます。特に写真にする場合は、花一輪に蕾の二つ三つがちょうどいい梅の花です。

コメント

_ 無一 ― 2008年02月26日 16時20分41秒

■俳写作成メモ

桜は、満開の散り際がよく歌に詠まれたり、絵に描かれたりするが、梅の花の散り際を、詠ったり描いたりしたものを見たことがない。
梅の花を梅の花らしく写真に撮るには、満開の状態を撮ったのでは絵にならない。蕾があって花がある、という絵が様になる。
昔の襖や工芸品などに描いてある梅の絵もほとんどそうだ。
そこが、桜の花とは違う、梅の花の本質ではないのか。

●多きより一輪が好し梅の花

「多きより」がどうも詩的でない。

●ほどほどに咲いたるが好し梅の花

「ほどほどに咲いたるが好し」とはどういうことか。誰でも言いそうな言葉だ。

●花一輪つぼみ二三が梅の佳き

「花一輪」は使い古されていて陳腐。「花一輪」と言わなくても、「一輪」と言うだけで、花のことだとわかる。
「梅の佳き」は、鼻につく。

●一輪と蕾二三が梅の花

「梅の花」とすることで、これこそが梅の花の本質だ、と断定している。
この句は、こんなところかもしれない。
元々の発想が古い。こんなことは誰でも思うことで、たぶん、似たような俳句があるか、あたりまえすぎて誰も詠まないか。 --<4点>--

<学習>

(1) 誰でもが思うことは俳句にならない。俳句にしても古臭く感じるだけで、かえって感性のなさを露呈することになる。

(2) 誰も言わないことを言う。誰も感じないことを感じる。そこに新しさがあり、感動がある。
表現のテクニックではなく、発想の問題だ。

_ 無一 ― 2008年02月26日 16時33分11秒

■俳写作成メモ

梅の花の句を、これ以上作っても意味がないか。
これまで4句ほど作ったが、最初の

●八重の梅透かせば白の多彩なり

以外はすべて駄句だ。

この「八重の梅」には、一つの発見がある。
花びらの重なりを、逆光で見ることで、その白の多彩さを認識し、そこに美しさを感じた、という発見。
発想は悪くないと思う。梅の花で、こうした発想の句は見たことがない。あとは表現の問題だ。

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_ 酔ちゃん blog - 2008年02月26日 16時24分08秒

関東地方に春一番をもたらした発達した低気圧は東海地方の平地にも雪をもたらした。通過した今朝は冷く強い北よりの強風が吹いていた。それでも日差しは春らしく近所の庭の梅が咲
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