放射線治療終了2008年10月22日

梅もどきのど飴しみるのどの傷

 梅もどきのど飴しみるのどの傷

最近少し控えめにしていたのど飴ですが、皇居の東御苑を散策している間、たばこ代りにずいぶん舐めてしまいました。喉にしみます。梅のど飴だったので、特にしみこむようです。

今日、最後の放射線治療に行ってきました。最後といっても特にセレモニーがあるわけではなく、いつものごとく淡々と照射して、最後ですね、などと言うこともなく、帰ってきました。

治療が終わったといっても、完治したわけではないので、喜んでいいのか、ちょっと複雑。この二カ月という治療期間は何だったのだろうと思わないでもありません。本当に癌だったのかも、今となっては疑わしく思えてきます。放射線治療が無意味とかいうことではなく、自分の気持ちに、癌という実感がないということです。今のところ、今回の治療での唯一の収穫は、たばこが止められたことかもしれません。あとは完治することを願うだけ。まだ、乾杯には早すぎるようです。

それよりも、この二カ月とあと何日かのブランクを取り戻すには、かなり時間がかかりそうです。というよりも、このまま窓際で終わりそうな不安でいっぱいです。いますぐにでもリタイヤするのが正解かもしれません。

さて、昨日の続き、野草の撮影についてです。

季節を問わず、野草の撮影に最適な場所は、川です。理想を言えば、ある程度川幅があって、長く、水量のある川で、コンクリートなどで護岸されていない川です。上流の山が、ブナなどの原生林で覆われていればなおいいでしょう。

大きな川といっても、荒川、多摩川、江戸川などといった川は、まずだめです。護岸されているということと、定期的に草を刈ってしまうなど、しっかりと管理されているからです。

あまり管理されていない川となれば、関東で言えば、鬼怒川や利根川、また、それに合流する川など、栃木や茨城、群馬の川があげられます。

そうした川の中流部は、大体、流れが分散して砂利などの中州ができています。そうした中州や河原、土手の縁などが狙い目で、思いもかけない野草を見つけることがあります。山から流れてきたいろいろな草の種たちが、そうした中州などに堆積し、野草の大楽園を作りだすというわけです。

そんな大きな川でなくても、たとえば田んぼの用水路やちょっとした川の堰堤などでも、かなり多くの種類の野草を見つけることができます。

意外に花が少ないのは、山の中です。雑木林の中などには、ほとんど花がありません。山に行った場合は、日当りのいい林道の縁を探すことです。

またまたとりとめなくなって、何を言おうとしているのかわからなくなってきました。今日はここまで。

照射一日短縮、あと1回!/野草の撮影2008年10月21日

もの言えぬ喉のいがいが秋薊

 もの言えぬ喉のいがいが秋薊

今日は、予定になかった診察があり、順調に快方に向かっているということで、照射が一日短縮され、明日で終わりということになりました。どういうわけか、炎症も他の人に比べると軽く、ほとんどわからない程度だということです。免疫力というか、自己治癒力というようなものが強いのだったらいいのですが、放射線が効いていないということだと困ります。そんなことはあり得ませんが。

言葉も静かに休み休み話せば、ある程度話せるようになってきました。吸入とこまめなうがいが効いたのかもしれません。

まだ詳しいことは聞いていませんが、照射が終わった後は、検査などは行わず、様子を見るということになりそうです。24日に耳鼻咽喉科と放射線科の両方の診察があるので、その時に詳しい話を聞けそうです。

渓流釣りが趣味で、釣りに行くたびに見かけた野草を撮影していたのですが、10年ほど前から、意識的に野草を探して、季節の野の花の撮影をするようになりました。野の花のサイトを開設するほど、夢中だった時期もあったのですが、数年前、非常に嫌なことがあって、今は全く放ったままにしてあります。

野草の撮影は、まず野草を探すことから始まるわけですが、それが非常に難しい。関東近辺で普通に見かける野草は、年間でおそらく400~500種ほど、その気になって探せば700~800種程度ではないかと思われ、2~3年も一生懸命に撮り続ければ、ほとんど撮り切ってしまうほどしかないのですが、いまだに撮れていない野草がたくさんあります。

野草を見つけることの困難な理由としては、一つには、関東近辺は開発が進んで、山や田んぼなどが少なくなったこと。一つには、里山なども公園化され管理されているために、雑草などはすぐに刈り取られたり、除草剤などで絶滅したりしていること。また一つには、環境にすぐなじんでしまう、強い帰化植物がはびこって、在来の日本の野草を駆逐してしまったことなどがあげられます。

また、撮影が困難な理由には、野草の花の咲くサイクルが早いということもあります。毎日撮影できればいいのですが、仕事や天候などの関係で、撮影できる日は限られてしまいます。春など、一週間も見ないでいると、同じ場所で咲いている花が全く変わってしまうのです。同じ場所でも日時によって、咲いている花はどんどん変わっていくため、追いつけません。

そのため、花の咲いている場所や日時、天候などはこまめに記録して覚えておきます。私の家の近所であれば、いつ頃、どこに、どんな時間帯に何の花が咲いているか大体わかるようになりました。

近所ではどうしても撮れない花があり、ちょっと遠出して探しに行くわけですが、花を見つけるためには、ちょっとしたコツがあります。

もちろん、人里離れた山や川などに行けば、それなりに見つかると思うでしょうが、そう簡単には見つかりません。山の中を一日中歩き回って、珍しい花を10種類も発見できればいい方で、まったく発見できなかったなんていうことはざらにあります。 植物園などへ行けば、一度にたくさん撮影できるわけですが、それではつまりません。動物園で動物をを見ているようなものです。

野草の撮影は、苦労して野生の花を見つけることに意義があるのであって、植物園で撮影するのでは、全く撮影する意味がないのです。

ところが、長年、花探しで苦労していると、野生の花を効率よく撮影できる場所というものを、地図を見るだけで、比較的簡単に探し出すことができるようになりました。

なんか、思いつきで書き始めたら、だらだらと長くなってしまいました。続きはまた明日。

治療あと3回/痛くない2008年10月20日

青白き秋や小さき豆の花

 青白き秋や小さき花のある

皇居のヤブマメの花。気をつけて見ないと見過ごしてしまうほど小さな花です。

今朝、起きた時から感じているのですが、喉の調子が非常によく、何もしなければほとんど痛みはなく、食事もあまり痛くありません。試しに声を出して見ると、なんと、意外に素直に声が出ます。ただ、調子に乗ってしゃべりすぎると痛くなって咳きこんでしまうのですが。

おそらく、吸入が効いているのと、腫瘍そのものも治ってきたのでしょう。不思議なのは、まだ、照射をしているのに、首の周りの皮膚の黒ずみが取れてきたことです。日焼けの皮がむけた後のように、ところどころまだ、まだらに黒い部分が残ってはいるものの、きれいに元の皮膚の色に戻っています。

あと3回、もう大丈夫でしょう。

治療あと4回/皇居東御苑2008年10月20日

深呼吸がまずみの実の赤きゆえ

 深呼吸がまずみの実の赤きゆえ

これは、皇居のガマズミの実。千葉の公園のガマズミよりも赤が鮮やかで、つやつやと輝いてみえます。

10月18日は、土曜日でしたが、その前の15日が病院の記念日で休みだったため、治療に行きました。朝は雲ひとつない秋晴れで、喉の調子もよかったので、カメラを持って出かけました。

病院は、今日は午前中だけということもあって混んでいて、終わったのは昼ころでした。外に出てびっくり。朝はあんなに気持ちよく晴れていたのに、天気予報でも絶好の行楽日和と言っていたのに、今にも降り出しそうに曇ってしまいました。

せっかくカメラを持ってきたのに、病院で意外に時間がかかってしまったことと、この天気で、遠出はできそうもありません。病院から歩いていける皇居の東御苑に行くことにしました。皇居東御苑は、春には何度か来たことがあるのですが、秋は初めて、しかし、時期的には、秋の野の花には遅く、紅葉には早いという、中途半端な時期です。

しかし、行ってみてびっくり、さすが皇居です。今では千葉の里山でもめったにお目にかかれない野草や木の実を見ることができました。

野草では、ユウガギク、ノコンギク、シュウメイギク、リンドウ、ホトトギス、ワレモコウ、ヤブマメ、ホオズキ、ツワブキ、ヤブミョウガ、アサザなど、秋の七草のキキョウ、オミナエシ、フジバカマ、ナデシコなどもまだ咲いていました。

木の実は、ガマズミ、ウメモドキ、コムラサキ、ジュウガツザクラ、ツリバナ、シロヤマブキ、オトコヨウゾメ、ゴンズイなど、また名も分からない木の実、花などを見ることができ、まるで植物園状態です。

昭和天皇が散策されたという武蔵野の面影を残す林や緑地の周辺には、懐かしい昔の秋をたくさん見つけることができ、満足でした。帰りは北桔橋門から出て、千鳥ガ淵から濠端沿いに有楽町の駅まで歩きました。天気も途中からやや持ち直し、それなりに爽やかで快適な一日。体調も問題はなかったのですが、このところの運動不足がたたり、足腰が痛くなって、体力的には目いっぱいでした。

わずか4時間程度、歩いた距離はおそらく4~5km程度の散策に、足腰が痛くなるようでは、これから先が思いやられます。

治療あと5回/吸入効果2008年10月17日

この頃は話すことなし神無月

 この頃は話すことなし神無月

この無口でひとりぼっちの釣り師の写真を見ながら、そういえば10月に入ってから、社員とはほとんど話をしていないことに気がつきました。私がどういう状況かは、みんな分かっているのですが、どんな病気かということは、話していないので知らないはずです。おそらく、大変な病気らしいということは感じているのでしょう。相談があるときなど、私の声に合わせて、ささやき声で話しかけてきたりします。

一日中話をしないということには、この釣り師のように、一人で過ごすことに慣れていることもあって、それほど苦痛を感じないのですが、周りに知っている人がたくさんいて、それなのに話ができない、というのは非常に苦痛です。

家族と話すときでも、話そうとする言葉が、声になるかどうか、話してみないとわからないので、最初の言葉はおそるおそる話し、それが声になれば、もう一度同じ言葉を話すという話し方になります。ところが、それが癖になってしまってしまったのか、どうも、話すことに自信が持てなくなってしまいました。

昨日と今日の吸入の効果か、今はちょっと声が出せるようです。黙っていれば痛みもあまり感じることがなく、喉の圧迫感も少なくなったような気がします。声を出せるといっても、一言二言で、後は喉がやはり痛くなり、咳が出て話せなくなるのですが。

この吸入の薬は、痛みを鎮め、炎症やむくみを抑えるということです。一日一回、10分程度の吸入で話ができるようになるのであれば、もっと早くからやっていればよかったと、ちょっと悔やんでいるところです。

--| 2010.10.24 restart